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平和と反戦について思うこと

平和と反戦について思うこと

本当の反戦とは、おれのような暴力を嫌うひ弱な人間に戦争反対と言わせることではなく
筋骨隆々の、暴力や腕力で人生を切り開いてきた、力士や警察官やスポーツマンに戦争反対と言わせることではないか?

おれは戦争が嫌いだ。平和を好む。だが世の中には、戦争したり、相手をぶち殺したりすることが好きな、あるいは許容する人間が、案外と多く存在することに気づいた。
ひょっとして、おれが争い事が嫌いな理由は、争っても勝てないからではないか?
ちなみにおれは身長160cm台の、筋肉もさしてついておらず、格闘技やスポーツの経験もない、インドア派の男である。周りの男と殴り合いの喧嘩をしても勝ち目がないことは、小学校の高学年の頃にはもうわかっていた。もしかしたら、おれの身長がもう少し高く、運動神経がよく、柔道や剣道の心得があったなら、もう少し争いを好んでいたのではないか?好むまでは行かなくとも、この地球上で行われる、合法非合法問わず、様々な争いだとか、殺し合いだとか、戦争を、もうすこしシビアな目で受け入れて、戦争の準備を進める政府を積極的に支持していたのではないか?
そのうち、自分が徴兵されるかもしれない、ということについて、諦めと覚悟を持って、受け入れていたのではないか?
自分の平和志向は、おれの優しい心だとかそんなものではなく、単に自分の、周囲より劣った身体性から発していたのではないか?

そもそも、おれは本当に平和志向だったのか?
おれはかつてはそれなりに本を読んだり、様々な学者や作家などの話を聞いて、「より良い社会になるためにはどうしたら良いのか?」のようなことを、人並み以上には考えていた気がする。日本社会は悪い方向を向いている。あるべき姿は何か?先の大戦のような悲劇を繰り返さないためにはどうしたら良いのか?と。
ただ、娘が生まれてから、このあたりの興味関心が明確に変わりつつあることに気づいた。いや、自分の隠れていた本心に気づいたと言ったほうがいいか。結局のところ、おれが本当に知りたかったのは、「おれやおれの家族が戦争に巻き込まれない方法」であり、究極的には「戦争になった場合に兵役から逃れる方法」だとか、「戦争になった場合に家族と安全に国外脱出する方法」だったのではないか。

六本木のど真ん中の、在日米軍のヘリポート。
一体何人の政治家が、有事の際の脱出の密約を結んだのかなぁ。